2013/5/9
談志師匠と出会ってからの典ちゃんは、というより、出会ってからの二人は、年がら年中一緒に過ごしていた。といっても色気のある話ではなく、師匠のお宅で師匠のご家族と一緒に過ごしていた。毎晩のように師匠のお宅へ行って、朝まで一緒に映画を観ているそうで、その頃から典ちゃんはやたら映画に詳しくなっていった。
「由香ちゃん、レーザーディスクって知ってる?」
「知ってるよ」
「師匠んちにね、映画がいーっぱいあってさ、レーザーディスクでずらっと揃ってるんだよ。毎晩、一緒に、観てるんだ。師匠は泣き虫でさー、すぐ泣いちゃうんだよ。ノリ、みろよ、ここ!! な、いいだろ? とか言ってさ。そのたびに、師匠、ワンワン泣いちゃうんだー」
典ちゃんから聞く談志師匠は、コワモテでも異端児でも天才でもなく、まるで小学校に上がる前の男の子みたいだった。
「それでさ、この映画の時は二人で傘さしてさー、一緒に踊るんだよ!」
私はどう答えていたのか覚えてないのだけれど、たぶん、すごいねーとか、へーとか、ろくなことは言ってなかっただろう。だって映画のことはほとんど知らないし、二人はあまりにも可愛くて無邪気だったから。。。
「あとさー、たまに二人ででんぐり返しするんだよね」
これはとても印象に残ってるので、えー?とか、わー!とか、驚いたのかも知れないな。
或る日のこと。典ちゃんはとても真剣な顔をして、話を切り出してきた。
「、、、、由香ちゃん。 師匠が、お前、弟子にならないか?って言ってくれてるんだけどさ。名前ももう付いてるんだ、、、」
それは、季節の文字と「志」の字で締めくくられているとても素敵な名前で、本当に典ちゃんにぴったりだった。
「どうするの?」
「うーーん、すごく考えたんだけどさ、私、断ったんだよね」
「なんで!?」
典ちゃんは、考え込みながら、ぽつぽつ喋った。
「だって、たぶん、私さ、師匠のこと今みたいな感じで好きでいられなくなると思ってさ。師匠のこと、大好きだからさあ」
典ちゃんの言うことももっともだとは思ったが、実は私は心の中で残念だなーと思っていた。私の周りに居る人の中で、スタッフやタレントさんも含めて、典ちゃんほど話の面白いひとはいなかったからだ。典ちゃんから聞いた話が余りにも面白くて、それを誰かに伝えようとしても、私のフィルターを通した途端に、さほど面白い話でなくなることがよくあった。典ちゃんが見たり聞いたり感じたりしたことを、典ちゃんから報告してもらうのがなによりも楽しかったし、きっとそれは談志師匠も同じだったのかもしれない。
そのあと二人はいったいどのくらい一緒に過ごしていたのかはわからないけれど、いつのまにか典ちゃんは師匠のことを話さなくなった。私の方も、放送業界に居ることに疲れてしまって衝動的に辞めてしまった。
典ちゃんは、数年経ってから脚本家になった。私は本屋さんの予約カウンターでバイトをしつつ、やがてジャズライブで知り合った誠実そうな人と一年交際したあと結婚した。
数年のブランクを経て、東高円寺の喫茶店で典ちゃんと会うことになった。ひさしぶりに会った私たちは、以前みたいには笑えなくて、何を話してもぎこちなかった。なんとかお互いに昔の感覚をつかもうとしたが、ずれたままの私たちはだんだん連絡を取り合わなくなった。
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先日、友人からいただいた落語のレコードの箱を眺めていたら、あの頃の典ちゃんのことが浮かんできた。何から何まで、当時の典ちゃんが蘇ってきた。声も、身振り手振りも、くるくると良く動く瞳も、とびきりの笑顔も!
やっぱり私のなかの典ちゃんは、永遠に、談志師匠とでんぐり返しをしているのだ。