「天の雫」という、私の心の中で勝手に名付けている言葉がある。天の雫は恩恵だ。或る時、或る場所、或る人達に、突然落ちる。
それはあらかじめ計画されたものなのか、それとも単に神の気まぐれなのか、私には到底わかるはずも無い。けれども、そんな私でもハッキリとわかるのは、雫を浴びた人たちは、時代の大きなうねりの中でなんらかの重い役目を負ってしまうということだ。
例えばそれは芸術であったり、政治的な活動であったり、様々な方面で現れるが、共通しているのは、役目を負った人たちが遺す「何か」は、光を通すプリズムのように、それまでとは全く違う未来へと時代を導く。
この本からも、大きな、『天の雫』を感じた。
著者伊東乾氏は、大学時代の同級生である「豊田君」が、地下鉄サリン事件の実行犯、豊田亨被告であると知る。その後、豊田被告との接見を続けながら、オウム事件の真相を追い、次第に事件の背景を明らかにしてゆくノンフィクション。第4回開高健ノンフィクション賞受賞作。
著者が知っていた学生時代の「豊田君」と、起こした事件(地下鉄サリン事件)とのギャップ。著者の亡きお父上がかつて語っていた戦争体験から、繋がり、明らかにされていく、日本という国の病んだ構図。多くの事柄が必然的に連なって「オウム事件」というひとつの巨大な織物を編んだのだと感じた。
恐ろしい、信じられない、で、あなたは片付けてしまうの?と、たくさんの声なき問いが本のなかから響いてくる。「サイレント・ネイビー」という言葉の重さを知る為にも、一人でも多くの方に、読んでいただきたいと思う。
2012/5/17 森下記
—
2014/4/24
二年前のちょうど今頃、友人の主催する映画の会で、お隣に座っていらしたのがこの本の著者の伊東乾さんだった。その時は「よく笑う屈託のない伊東さん」としか認識していなかったのだが、あとになって作家の伊東乾氏であることを知った。
実は私は、地下鉄サリン事件の被害者の一人である女の子を個人的に知っており、伊東さんや伊東さんの本を通じて、偶然にもこの不幸な事件の両サイドを知ることとなった。
被害者でもない、加害者でもない私たちは、果たして単なる傍観者でいいのか?事件のことが日に日に薄れていく今、「昔、こんなひどい事件があってねえ」だけで済ませてよいものなのか?そんなことを改めて考えさせてくれる本だ。