今日は一日を通して象徴的で意味深い日でした。
ネットに繋いでから私が懲りずに続けてきたのは、自分の心の傷についてのあれこれを書き綴ることでした。それは女性性を深く傷つけられた子どもの頃の或る出来事であり、それとは別に被虐待児童でもありました。あまりに生々しいので皆削除していますが、アウトプットせずにはいられなかったのです。後者の件では、私は母が生きているうちには許すことは出来ませんでした。
母は健気で真面目でストイックな女性でした。その母が初めて好きになった父は、女性に非常にだらしない人でした。彼は養父母に健全に愛されていなかったので、愛情というものがわからず、恋人と再婚したいがために別居後の母と私をあらゆる方法で苦しめました。母は疲れきっていたのでしょう。私を幸せに育ててあげたいというプレッシャーと、皮肉なことに父にそっくりな私との貧しい暮らしと、それでも仕事もプライベートも極限まで頑張ろうとする日々が、とうとう彼女の心を壊してしまいました。或る日を境に彼女はプツンと糸が切れ、以後、私の身体は様々な方法で傷つけられました。私はほんの数年前まで、その頃の夢でうなされていたのです。
それがなぜだか今日は、母はかわいそうだったなあと心から思いました。
良い母でいたかったろう、良い妻でいたかったろう、どんなに寂しかったろうかと思います。同時に、私自身のことも、単なる気の毒な被害者であるという見方を手放すことが出来ました。私はとても強い女の子でした。子どもの頃の私は、不実なものを許さなかったし、権力にも屈さない、芯から強い心を持っていました。ああ、本当にそうでした。なぜそのことを忘れていたのでしょう。
十数年前からネットに書きつけながら、この一見無益な苦しい行為がどのようにまとまるのか、どのように自分自身を導いてゆくのか、まったくわかりませんでした。けれどもやっと今、光が見えてきました。傷ついていた若い母や、傷ついていた幼い父を抱きかかえながら、私はその先へ進んでゆこうと思います。