アーサー王講座はタリエシンに差し掛かっております。タリエシンのテーマは『変容』です。変容は変化とは全く違っていて、ここを通り抜けられたなら、もう二度と以前の存在状態には戻らないのです。このことを古から人々は後世に伝えようとしてきました。また世界中で古くから行われてきたイニシエーションで、特殊なプロセスを踏ませたり変性意識をもたらす草花などを用いたのも、変容の疑似体験や象徴だったのかもしれません。もちろん私はそれらの体験を一つも持っていないのですが、いずれにせよ疑似体験はしょせん疑似体験なので、私なりに「変容とはいったい何か?」ということをしょぼくれながらも真っ直ぐに探求しているのです。
最近になって、変容は一回の通過儀礼でスコンと変わるほど甘いものではないんだと気づき始めました。そんなに簡単ならば、これほど多くの書物や絵画や音楽などに延々と記されるはずはないのです。これだと思った端からやっぱりダメだったと気づくことの繰り返しなのかもしれません。しれませんと多用してるのは、正直な話全くわからないからで、何か少しでもわかったのならもっと力強く書けるのです。
前回の記事で、ネットを筆頭とする人間関係の難しさについて凹んでTwitterのアカウントを削除すると書きましたが、パソコンに保存されていたパスワードによって1日も経たないうちに復活してしまいました。自分に対して、なんだよ!という気持ちと子どもっぽいな!という腹立たしさでいっぱいで、子供の頃からの被害者意識が少しも変わっていないことを痛感しました。強さとは、相手や外側に示すものではなく、ただただ忍耐強く存在し続けることなのかもしれません。
私はタロットリーダーですから、カードを通じて記す言葉は力強くブレのない真理の言葉です。タロットはロゴスだからです。けれども、カードを通さない私自身はとても弱い人間です。ブレるし傷つきやすいし格好悪いです。痛いという言葉がぴったりかもしれません。変容しつつあると思い込んでいたのは大きな間違いで、何年経っても私は同じ場所をグルグルと回っています。私に出来ることはそのブザマな姿を逃げずに丁寧に記すことです。タリエシンは、ギォン・バッハが魚になったり獣になったり鳥になって変わり続けた果ての姿なのですが、私も怖れずに変わり続けていこうと思います。この数年、ツイ消しも日常茶飯事だったのですが、今後はブザマな姿をちゃんと残していこうと思いました。