2010/3/3
去年だったかおととしだったか、友人が、佐野洋子の『シズコさん』という本を「読み終わった本なんだけど、あげるよ~」とプレゼントしてくれた。そしてあらすじを簡単に話してくれた。佐野洋子が自分の母親をゆるせなくて、最後は老人ホームへ入れたこと。それについて佐野は後々まで苦しんだこと。母に触れるのもいやだ、と書いてあったこと。それを聞いた時、読んでみようかなーと思ったんだけど、実際に手元に届くと「こりゃ読めん!」と手をつけずに処分してしまった。(ごめん)だけど今頃になって再び、読んでみようかなあと思っている。
私は自分で思っている以上に、何重にも心を覆ってきたらしい。剥いても、剥いても、本音は現われてこない。私の記憶の中では、母の目は私の失敗を探す目。口は私を日々ののしる口であった。そして手は、何度も何度も私のからだに傷をつける手だったのだ。
私は優しい瞬間の母を紡ぎ合せて「おかあさん、ありがとう」と、口でも心でも繰り返し唱えてきた。けれどもやはり、「そうじゃあないでしょう?」と、もう一人の私が叫ぶ。
そこを誤魔化したら何かが狂ってしまう。そこを見つめなければ大事なものを失ってしまう。奥の方に光を当てたい。まずはそこからだ。憎むのでなく、非難するのではなく。
私が母を慕うことが出来ないのは健全なことなんだよと、新しい自分に伝えてあげたい。
2013/1/22
これを書いた10ヶ月後に、母は病気で亡くなった。突然の出来事だった。今は無理でも、時間をかけていつかはゆるそうと思っていたけれど、その「いつか」は来なかった。
昇華したふりをすればよかったのかと何度も何度も考えたが、私の心の器では時間が足りなかったのだ。
母と私は、私が4才の時から二人きりで暮らしてきた。彼女の絶望も、怒りも、憎しみも、私には手に取るようにわかった。母は何事にも手を抜かずまわりを思いやり、他の人たちは嫌がって避けることを誰よりも先にする。優秀で優しい看護婦だったし、私生活においてもそうだった。ただしその奥に、私以外は誰も知らない母の姿があったのだけれど。。。
きっと母は、誰かに愛されたかったのだと思う。頑張ってるね、えらいね、と、無条件に抱きしめてほしかったのだと思う。けれども、彼女をぎゅうっと抱きしめる腕は結局なかった。どんなに裏切られていても、不安でも、父と三人で暮らしていた名古屋時代は幸せだったのかも知れない。
強気なふりをする、どうしようもなく不器用でマジメな女の子の母を、ようやくいま私は、ずうっと抱きしめている。