2013/5/24
前回の記事の古い箱の中身ですが、この春にほとんど捨ててしまいました。二十歳の頃、麻布警察署の裏にあった放送作家協会の「シナリオ講座」の夜間部に通っていて、課題で200ページのシナリオを書きました。とても拙いのだけれど私らしさがつまっていて大切に仕舞っていたのですが、それもプロットや講評と共に残らず捨ててしまいました。
去年、若い頃に一緒に過ごしていた(当時、演出家だった)方と数十年ぶりに再会したのですが、私が捨てていると話したら嘆いていたので、せめてこうしてブログに残そうと思いました。笑
ほんとは今まで書いてきたことの数倍ものエピソードが胸の中に仕舞われているのですけど、引きずり出すたびに寝込みそうになるので、少しずつ出しているのです。
なぜこんなに残していたかということを、書いておこうかなあと思います。
何度も書いてきたように、私は一人の時間が多かったのですが、実はそれほど寂しいとは思ってなくて、麻痺してるというのもあるでしょうけれど、それよりも分かち合う人がいずれ目の前に現れるという妄想を抱いていて(小学生の時からですから… 大変な年数になるのですが)その時のためにコツコツと自分の記録を残してきたのです。出会う人、出会う人に、「この人がそのひと?」と思ってきて、誰かと会うたびに尋ねてきたのですが、当然ながら向こうはさっぱり響かないわけです。そんなこんなで年を重ねてしまって、それでも同じように待って探している自分がアホらしく思えて…
もうひとつ。いい加減に人生の流れを変えたくて、捨てることにしたのです。
小学生の頃、おじの職場の保養所が箱根にあって、毎年従弟たちと訪れたのですが、或る時若葉に光が当たるところを裏側から眺めていて、それがあまりに美しかったので心の中に景色を閉じ込めました。大文字焼きに火がつくところを眺めた時も「誰かに伝えたい!」「見せてあげたい!」と、とても苦しく切なく思っていました。美しいものや悲しいものを見聞きするたびに、いつの日か誰かに届けられるように、心の中に深く仕舞い込んで、覚えていて、届けたかったのです。そんな数十年間だったのでした。
好奇心いっぱいの女の子は、すっかりくたびれてしまいましたが、中身だけはずっとあの頃と同じままなのです。