Twitterのない世界に想いを馳せています。もちろん私個人のお話しです。
初めて書き込んだのは2011年、母が亡くなってすぐの頃でした。埋められない心の隙間と生きてる間に和解出来なかった後悔でぐちゃぐちゃだったのです。現実で吐き出せないモヤモヤを綴るのに、ツイッターはぴったりのツールでした。そもそも私は昔から昇華出来ないものをアウトプットしていたので、まさにコレダー!という感じでした。そんなきっかけで始めたのですが、月日が経つにつれ顔の知らないお友達もたくさん出来ました。
私の長所であり最大の欠点は好奇心が強く無防備なことです。ですから全然知らない人をフォローしたりリツイートしたり、場合によっては講演や音楽を聞きに出掛けることはへいちゃらでした。なんの疑問も感じなかったのです。もしかするとそれぞれの世界に暗黙のルールがあったのかもしれませんが、、、私にはわかりませんでした。そんなおめでたさで乗り切れるものではないぞと気づいたのは数年経ってからでした。現実に笑顔でお話しした方の心のうちを目にしたり、フォローし合いましょうと言われたにも関わらずブロックされてしまったり、人間の心の複雑さに悩んだり傷ついたりすることが多くなってゆきました。
私はネットに関して楽観的に考えてきたのですが、ネットの怖さはそれなりに知っているつもりでした。10年ほど前に私の個人的な生活に関して知らない方たちによってネットに書かれ、まことしやかに書き込まれるそれらのほとんどが出鱈目だったので、悪意を持って使われるツールでもあることを実感しました。事実と違うことを違うとSNS以外で書けないものかと考えていましたが、Wikipediaでさえ間違ったことが載ると知ってからは諦めてしまいました。そんな私を見て娘たちや親しい友人から「ツイッターもう辞めたら?」と言われてきたのですが、、、何かしらの意味を感じて、それは特別なものだと信じ込んで続けてきました。そうして今はどんなものを目にしても悲しい想いをしなくなりました。強くなったのです。
私は扉を開けて次のお部屋に入っても良いのかもしれません。傷ついたことによって始めたお部屋ですから傷つかなくなった私には必要ないのだなあと感じています。
たくさんの素晴らしいものに出会えたことに心から感謝しています。月並みな言葉になってしまいますが、、、本当にありがとうございます。