小室哲哉さんの引退発表会見を見ました。私は小室さんとKEIKOさんの間の年齢です。会見で仰っていたうちの、わかる部分が少しで、わかりそうでわからない(私には計り知れない苦労の)部分が大半でした。音楽のことが好きで好きで、周りの誰よりも音楽を愛して、多分そのことばかりを考えてきただろう(そしてあれほど華やかな人生を送ってきた)人が、あんな風にぷつんと引退してしまうのは不思議な気がしましたが、もしかしたら、一線を退くことによって少しは時間がとれてゆとりも持てて、音楽を愛し続ける一少年に還れるのかもしれないなあと思いました。
本当に本当にお疲れ様でした。そしてたくさんの心躍る歌をありがとうございました。
小室さんは還暦を迎えることを考えたと仰っていましたが、その部分だけは私にも痛いほどわかりました。この年末から年始にかけて、今までになく自分の人生の終わりについて考えたのです。例によって私のお茶相手の蒼ちゃんに「病気になって、もしも残された日々が僅かだとしたら、誰に病院にパンツ運んでもらおう?」と訴えて笑われましたが、私がリアルに想像できるのはそこまでなのです。病室にスマホを持ち込んで日がなネットでも見てよう。時々は弱音も書いちゃおう。SNSがあるから直接お話しする人がいなくても平気だけれど、替えの下着は果たして誰が!?となったのです。
「そん時は私が持っていきますよ!」と蒼ちゃんに言っていただけたので嬉しかったのですが、今日になってその先も考えてみました。やっぱり最期は吉祥寺なのかしら?出来れば練馬よりは吉祥寺がいいなあ。三鷹は馴染みがないけれど杉並区ならいいかなあとか、あれこれ考えたのです。死について考えるのは縁起が悪いとか、ネガティヴだとか言われることもありますが、パートナーがいない私には切実な問題です。実母は自分で海洋葬を選んで、病院や葬儀にかかる諸々の全ての支払いをすませてから逝ってしまったのですが、それは見習いたいと思います。
「あの人、パッと消えちゃったねえ!」と子供たちに笑われるような、そういうさらりとした最期を迎えたいのですが、案外百歳近くまでしぶとく粘るかもしれません。よね。