どこかに書いたのだろうけど、ふと思いついたので記しておきます。
私の素の気質は、とても単純でお目出度い。天気が良ければ陽の光に、雨が降れば雨粒に、雪が降ればその冷たさに感動する。世界は驚きに満ちていて、四六時中私はびっくりしている。木も花も草も爬虫類も虫も、ゴキブリでさえも面白いなーと思うので、だいたい常に驚いている。そんな私が芸術に触れればびっくりしない訳がなく、見るたび聴くたび人一倍驚いてきた。
母にとって私は相当な困ったちゃんだった。あっ!と思うとそれに向かって一目散に走って行くからだ。何度叱られても、何度説明されても、不思議を見つけると走ってしまう、そんな子どもだった。思春期になると、いいなと思う表現をしている人を見つけるとすぐにお手紙を出した。昔はのどかな時代で、プロもアマも自分の本名や住所や電話番号を雑誌などに載せていたのだ。そんなこともあって、いろんな人と文通していた。
短大を退学してからの私は、バイトをしては辞めるの繰り返しだった。そうして辿り着いたのが放送作家だった。確か「字さえ書ければ放送作家」という番組コーナーがあった気がするが、言い得て妙で、字すら書けなくてもいいのでは?と思う。面白いものや人や出来事を探し直接取材して、「いいね」を伝え続ける。この仕事は私の気質に合っていたのだが、数年でぼろぼろになって辞めてしまった。その後数年閉じこもっていたのだけれど、再び違う形で同じようなことを始めた。そしてネットに出会ってからは、全く知らない誰かの表現を面白いと思うようになった。たくさんの人と出会い、コミュニティも作って、やがてタロットリーダーとして生きるようになった。タロットに出会えたので「はい、おしまい」になれば良かったのだけれど、それでも止まることは出来なかった。
私の「いいね」はきっと良いことに繋がると信じてきたのだが、最近になってそうでもないんだとわかった。全く知らない誰かにいいねを付ける行為は、時には相手を怖がらせてしまう。やめてほしいとか場違いだと伝えられたこともあった。それで勝手に傷ついて、あちこちのアカウントを削除したのだけど、やっぱり数カ月しないうちに復活してしまった。
今日になって気づいたのだけど、私の「いいね」は病いで性だ。いいと思うものをついつい見つけてしまう。相手が子どもでもご年配でも男でも女でも関係ない。いいなあ、素敵だなあ、上手だね、これ大好き、と思ってしまう。
そんな訳で、私にいいねを付けられてしまったり、勝手に感想文を書かれてしまった皆様、ごめんなさい。この先もフォローしたりお気に入りに入れることがあると思いますが、ごめんなさい。大人になりきれない大人(私)がやり続けていることなので、見逃してくださるか、もし不快だったらそ〜っと教えてくださいね。と、言い訳と決意表明をこっそりここに残しておきます。