2020/12/16
以前に「秋の夜」というタイトルで或る出来事を書き留めた。あそこに書いたのは一人の教師のことだが、奇妙なことに、あれほど酷くはないにしても、別の教師(たち)によって同じような目に何度か遭っており、私の子供時代はいつも何かしらの問題を抱えていた。
事情はさらにもう少し複雑で、あの頃(小学生)の私は、日常的に母から激しい暴力を受けていた。彼女は外側で見せるいつもの顔があり、教育熱心な良い母親、姉妹思いの気遣いのできる良き人として世間では通っていた。職場でも有能な看護師として知られ、買い物に出ると知らない人からお礼を言われることもあった。患者さんに接する時の母は、温かく優しく頼もしかった。
週末になり私と2人きりになると、母の機嫌は突然変わった。きっかけは些細なことで、出掛けた先での私のだらしない態度とか、子供らしいちょっとした口ごたえとか、親類の集まりの場での私の失言とか、テストで良い点が取れなかったとか、原因はその時々で変わるので、私はいつも母の顔色を伺い、注意深く様子を見ていた。一旦それが始まるとおさまりがつかず、母の感情と力が尽きるまで暴力は繰り返された。髪の毛を掴んで部屋中を引き摺り回されるので、私の頭の皮膚はブヨブヨになり、髪は束になって抜け落ちた。絨毯の上を引き摺られるので手や足には斑点状の内出血の痕が残り、背中には叩かれた傷がつき、時には首にあざが出来ていたのだが、どういう訳か学校側も親類でさえもそのことに気づかなかった。もっとも仮に誰かに訴えればいつも以上に酷い目に遭わされるとわかっていたので、私も共犯者の様に隠し続けていたのだが。
暴力のない日は些細な理由で夜中にベランダに出され、鍵をかけられた。窓ガラスに耳を当て、母が楽しそうにテレビを見ている様子を聞き取ると、なんとか気持ちが変わって家の中に入れてくれることを願ったが、その祈りもむなしく、しばらくすると電気は消された。母の寝息が聞こえてくると、あとはもう母が目を覚ます遅い朝まで団地のベランダに身体を横たえるしかなかった。ベランダは狭く、コンクリートは芯から冷えて、なかなか寝付けなかった。仕方なく物置から新聞紙を引っ張り出し、震えながらぐるぐると身体に巻いた。物置には福島の祖父から送られたりんごが箱ごとしまってあり、新聞紙からもふんわりと香った。私の家は3階で、ベランダからは遠く丸子茅ヶ崎線を走る車のテールランプが見えた。それは心細いくらい小さな灯りだったが、たとえわずかな動きだったとしても、私の心の慰めになった。