2009/11/9 先日、赤坂の「寧樂(なら)」という喫茶店を検索してみたら、まだ存続していると知って驚いた。 二十数年前に通っていた事務所は、コロンビア通りに面した小さなコーポの中にあった。寧樂も同じ通りにあって、草花が咲く小道を入った突き当たりの、古い日本家屋が印象的なお店だった。山…
2013/9/26 その人をそばで見たのは、20年以上も前のことだ。当時関わっていた番組のテーマソングをつくって歌ってくれるとのことで、録音に立ち会うスタッフに付いて行ったのだ。 その人のことは少しは知っていたけど、そんなには知らなかった。曲も聴いたことはあるけれど、そんなには聴いたこと…
2009/3/31 中学1年の時から3年間、一人のおじいさんと文通していました。おじいさんの名前は中村胖(ゆたか)さん。或る雑誌の読書欄に、おじいさんがご自分の詩を投稿していたのです。その詩があまりにも素敵だったので、感激した私は早速お手紙を書きました。当時の雑誌は、投稿者の名前も住所もそのま…
2013/5/7 ひとが生きていくために、食べたり飲んだり寝たりする他にも何かがあるのだとすれば、二十代前半の私は、間違いなく「典ちゃん」を摂取していた。典ちゃんは典子といって、私よりひとつ年下の女の子だ。私たちは同じ放送作家事務所の同期だった。 代表の南川さんは業界の大ベテランで、しか…
2013/5/8 典ちゃんは新宿の十二社の近くのアパートで、典ちゃんを追っかけて北海道の室蘭から上京したお母さんと暮らしていた。お嬢さんで末っ子で世間知らずのお母さんを働かせるのはかわいそうだと、母を養うために昼だけでなく夜も働くことにしたらしい。 私たちの事務所は、赤坂のコロンビア通り…
2013/5/8 典ちゃんが関わってる番組は、司会者もゲストも大物揃いだったので、その分、わりと頻繁に不測の事態が起きていた。収録場所は渋谷ビデオスタジオといって、東急ハンズのちょっと先のこじんまりしたところだったが、何か起こるたびにディレクターやプロデューサーは落ち着かなくなり、ADはコマネ…
2013/5/9 談志師匠と出会ってからの典ちゃんは、というより、出会ってからの二人は、年がら年中一緒に過ごしていた。といっても色気のある話ではなく、師匠のお宅で師匠のご家族と一緒に過ごしていた。毎晩のように師匠のお宅へ行って、朝まで一緒に映画を観ているそうで、その頃から典ちゃんはやたら映画に…
2013/1/30 夜に突然おだか君からの電話。おだか君は若い頃の同僚だ。当時彼はADさんで、私は駆け出しの放送作家。テレビ東京の早朝帯の生番組を一緒にやっていて、しょっちゅう原稿が遅れて朝にスタジオに駆けつける私を、ニコニコ笑いながら東京タワーの下で待っていてくれた人だ。 どんなにショ…
2009/9/28 私は「先生」に恵まれている。振り返ると、本当に、そう思う。 人生の最初の師である、山手國広氏。出会ったのは1993年の春だった。山手さんについては以前に幾度か記事にしたけれど、あまりにも山手さんの宇宙観にはほど遠くて削除した。山手さんは、誰かが「先生!」と呼ぶと「ここには…
2015/7/14 高校を卒業し短大を中退してからは、「自分に何が出来るのか」をめちゃくちゃに探していました。なんか面白い事が出来そうだと自分を買いかぶっていたのですが、そう思ってるくせに努力はしていませんでした。2年ほど実家を離れたもののやはり生活できず戻ってきたのですが、そのまま横浜に居る…