2015/11/10
横浜の鶴ヶ峰という駅を降りて右側に少し歩いた先に「ロイヤルマート」という小さなショピングセンターがありました。一階は、八百屋、不二家のケーキ、カメラ屋など。そして二階は、畳がある食堂に、裁縫道具を売ってるお店、ファンシーショップ、そしてレコード屋。私はこのレコード屋さんにずっと通っていました。
昔はLPを買うとポスターがもらえることがほとんどだったので、誰かのファンになるとポスター欲しさにレコードを買う人が多かったのです。
何度か書いているけれど、私は音楽に関しては人にはあまり興味がなくて、視聴してみてかっこいい音なら買うし、そうでなかったらやめていました。だからポスターを欲しがる子たちの気持ちがわからなかったのです。もちろん私の部屋には一枚もポスターは貼ってありませんでした。
当時はLPを買うために2ヶ月分くらいのお小遣いを貯めたので、何を買うか吟味しなければなりませんでした。それは邦楽か洋楽か選択することでもありました。よほどお金に恵まれているか、音楽好きのお兄さんお姉さんがいる以外は、どちらかに決めないとまとまって集めることは出来なかったのです。70年代は、邦楽も洋楽もやたらと新譜がごちゃごちゃ出ていて、レコード屋の中はいろんな音が鳴っていました。もちろん今もですが、あの頃は何か密度が高いというか、やたら主張の強いものがレコードから飛び出してる感じでした。
とはいえ、私はあんまり主張の強いものは好きじゃありませんでした。ボーカルはサーっと流すようなものが好きで、どちらかと言うとボーカルの後ろの音が良く響くものが好きでした。音楽好きな友人は「アレンジャーは◯◯だ」とか、ライナーノートを見てあれこれ話してくれたのですが、私はそれにも興味がありませんでした。最近になってやっと、実家のレコードのライナーを読んで「こんなメンツだったのかあ」と驚いたりしてるのです。遅いですね。私の周りにはすごく音楽のことが好きな人が多くて、そのせいもあって「私はそんなに(音楽を)好きじゃないな」と思っていました。それでも周りの影響は受けるので、友達が聴きまくっていたものをいつの間にか好きになることが多かったです。
10代の終わりから20代半ばまで一番仲が良かった美樹は、高校2、3年と同じクラスでした。捻くれてて、センスが良くて、へんな人でした。高3の或る日、すごい遅刻をして登校していたら、彼女も後ろを歩いていたのです。それで「一緒にサボるか!」と決めたのが仲良くなった始まりでした。高校を卒業して数年後、美樹は女子美を中退して横浜元町の入り口にあるパン屋の2階のコーヒーショップで店番をしていました。私も地元の短大を中退して、中華街の外れのステンドグラス屋で店番をしていたのです。それでバイトの行き帰りに、美樹の働くお店に時々寄りました。美樹はとても綺麗な人で、すましていてあまり笑わないのです。ホントは恥ずかしいからなのですが、恥ずかしいと思われたくなくて、私がお店に行ってもわざと嬉しくない顔をするのでした。
その頃、美樹は元町の山の方にある輸入盤を扱うフライング・ソーサーと言うレコード屋に通っていて、そこに行く道でいつも近田春夫さんとすれ違うんだと言ってました。「また近田がいた!」とか私に報告する、生意気な女の子でした。最近になってわかったのは、そのレコード屋さんは近田さんの以前の奥様のお店とのことでした。そりゃすれ違うよなーと、今更ながら思っています。