2024.4.21
実験実習1-3レポートを提出。えらいぞ私。チャットGPTや先行研究の助けを借りてどうにかまとめることができた。1-3は山場だった。実験1の孤独さで認定心理士の資格をあきらめる人も多いと聞く。さもありなん。合格出来たら嬉しいなあ。
ところで、虎に翼。今週も毎日泣きながら視聴した。花江ちゃんがぽろぽろ涙をこぼすところでは一層泣いてしまった。で、だ。「私も吐こう」ということで、先日書いた最初の結婚で起こった出来事を少しずつ記そうと思う。十数年前にちょろっとツイッターなどで吐き出した時は、(元)夫のファンであるという人物から「作品が面白く読めなくなるからそういうことを書かないでほしい」と伝えられた。モヤモヤもしたけれど(それでお金を得ていたのだから)相手の意見ももっともだと書くのをやめてしまった。やめたどころか全削除した。でも、だ。おまえのために私の人生があるんじゃない。私の呟きなどブロックなりして見なきゃいいんだし、作品を読みたくなくなったら読まなきゃいい。幸か不幸か私はそういうことに関してはずば抜けて記憶力が良い。おまえの名前も存在も忘れてないからな、すました態度でファン面してんじゃねーぞ。という怒りもあらたに加えて、気が向いたときにはひどかった結婚生活のことをのんびり書きまするるる(ああ、でも面倒くさい)。
2024.4.16
NHK朝ドラの『虎に翼』にはまってる。キャスティングがいい、お話がいい、美術がいい、主題歌がいい、オープニングの絵がいい、などなど。しびれる。いま私は鍼の治療で神田須田町に通っているので、あのあたりかなーこのあたりかなーと考えながら見渡している。
ドラマの中では女性たちがなにかと侮辱され虐げられるのだが、あれ、戦後もそれほど変わらないのです。あそこまで極端でなくとも、現在に至るまであらゆる形で差別されてきた。私の最初の結婚では、夫の実家に泊まりに行ったとき、私が手紙とともに送っていた家族写真(夫、私、娘)の私の部分だけがくるりとハサミで切り取られていて、ご丁寧にきれいな額に入れて、壁にかけたり棚に飾られたりしていた。要するに、私が切り取られた写真は室内に何個も飾られていたのだ。その部屋に「どうぞ」と言われて何泊もする気持ちが想像できるだろうか。たぶん女性は容易に想像できるだろう。「私は家族として認められていないのだ」「私だけがこのうちの一員ではないのだ」「もしかしたら人として扱われてもいないのだ」と全身で理解したのである。この出来事はほんの一例で、結婚生活の間じゅういまどきではドラマのネタにもできないようなことが続いたのである。そして、そのことはけしてインタビューでもエッセイでも作品でも語られない。どうやって乗り越えようか、忘れようか、許そうかと思い続けてきたのだが、許さなくても忘れなくともよいと心から思えるようになった。一生許さないけれど、その怒りと悔しさは勉強にぶつけることが出来る。どんなに遅くなったとしても、それでいい。翼を得るのだ。
2024.415
先日の日記の付け足しなのだけれど、私は加藤和彦さんのことはファッション誌で見かけたことがあるくらいの認識で、ましてやサディスティック・ミカ・バンドなんて聴いたこともない。それなのに、遠くからも光っていて見つけられてしまう加藤さんて特別な存在感なんだなーと感心したことを覚えている。ちなみにその後も曲を聴いたことがない。偶然だけど、加藤さんの映画が来月上映されるそうだから観にいこうかな。そういえば、学割が使えるのだった。学生になってから学割を使用したのって、Spotify、Dellのパソコン、アマゾンプライム、ゴンチャの学割ドリンクくらいだな。コロナも明けたことだし、今後は積極的につかっていこう。
2024.4.6
書いておかなきゃと思いつつ何十年も先延ばしにしていたことを、今日こそ書き留めるぞ。偶然見かけて一番印象に残っている人は、サディスティック・ミカ・バンドの加藤和彦さんだった。ホテルニューオータニの一階の公衆電話のエリアに加藤さんは立っていて、誰かと待ち合わせているようだった。ひときわ背が高く、壁にもたれながら遠くを見ているその姿が輝いていた。どんな服を着ていたのかはさっぱり思い出せない。とにかく「なんか、あそこに光ってる人がいる!」と思ってよーく見てみたら、それが加藤和彦さんだったのだ。おしまい。