昨日は、2017年最初のアーサー王講座でした。昨年末に課題として出ていた#20. 「眠れる首長」の視覚化レッスンの発表の後、いつものように先生に考察していただいたのですが、非常に身の引き締まる思いがしましたので、一部ですがここにシェアいたします。この「私」の部分をそれぞれ「みなさま」に、「タロット」の部分をみなさまの「かけがえのないもの」に置き換えると、比較的わかりやすく感じとっていただけるのではないかなと思います。
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#20. 『眠れる首長』 The Sleeping Lord
「個人」と「個人でないこと」の隔たりはどこにあるのか?
☆視覚化の後に引いたカード、#5. タリエシン
タリエシンを通して変わらねばと思った(森下)。
変容。
ギオンバッハはタリエシンに変容した。
学習という意味 → トートでは#5〜#17へ
イシスがヌイトに変わるための修行。
へー(窓)ということ。
「新しい世界が開ける学習」でないと、それは学習ではない。
ギオンバッハがタリエシンになること。
日本ではなく、地球になること。
地球ではなく、太陽になること。
マボンが旅立つ。
自分が太陽になること。
私(森下)が太陽になれば、世界が変わる。
新しい太陽になる。(古い太陽とは権力闘争、名誉、出世など。→ ボランティア団体でさえ分裂する)
☆視覚化の後に引いたカード(森下)、スピアのキング
スピアのキング
↓
槍の先端を磨く。→ 生きた勉強をすること。
生きた勉強とは、(一般の)資格などではない。
ex. 選手は自分の技を磨く。(オリジナリティ)
私が学べば → 私は太陽になる。
↓
世界は変わる。
タロットを体験すること。(全カードを体験すること)
丸ごと体験すること。(好き嫌いではない)
↓
人間関係の場合「どこが好きですか?」ではない。(タロットの場合「どのカードが好き?」ではない。丸ごと)
考察 ∴タロット王国 レオン・サリラ先生