或る年、母が、満開の桜を眺めながら「来年はもうこの桜を見れない」「あんまり綺麗で涙が出る」と言ってポロポロと泣いたのです。そして確かに翌年の桜の季節にはいなかったのです。以来、私は桜の季節が来るたびに、来年は見れるかしら?と思うようになりました。そういう時はすごくさみしい気持ちと、ものすごく安らかな気持ちが混じります。
小中学生の頃は、真っ白な心で真っ直ぐに生きられると信じていました。大人はずるい、大人の世界は汚れているとあんなに忌み嫌っていたのに、結局私だってさほど変わりない大人に成り果てたのです。「もうこんな自分は嫌だ」と絶望した時から帰り道が始まって、今は帰り道の途中です。そしてタロットと出会って、ようやく途方に暮れずに歩けるようになりました。
あと何回くらい桜を見れるのか私にはわかりませんが、行きと帰りの道で出会ったことや学んだことをちゃんと記せたらいいなあと、最近はそればかり考えています。戦争は私たちと関係のない大きなもの同士が争うのではなく、自分の価値観とは違うものを排除しようとする心や、自分を変えなければいけない時にめんどくさいと怠ける私たちの日常の心から起こるのだと思います。なんて書くとすごく高みから言ってるように見えますが、私自身がそうなのです。私は、人一倍被害者意識が強いし、排他的だし、怠け者です。けれどもそんな自分では嫌だという気持ちも人一倍持っています。
ずるく生きてゆかないと世間から傷つけられ続けるのですが、実はたいして傷なんてついていないのです。怖がらずにめげずに「傷つけられ続けようよ」と言うのが、帰り道途中の私が自信を持って伝えられる言葉です。