2014/10/5
Tさんは恋人というよりも、私の保護者のような人だった。ひと回りも離れているTさんにとって、私はぎりぎり我慢できる存在だったのかも知れない。当時の私は幾つかの大きな番組の中に放り込まれて、アシスタントディレクターのさらにアシスタントみたいな、最下層のポジションで毎日とても忙しかった。
Tさんは当時売れっ子になりつつある演出家で、どんどん忙しくなっていった。知り合った翌年にはレギュラーで抱えてる番組の他に、旅番組や音楽番組やドラマなどをイレギュラーにこなしていて、海外ロケから日本に戻ってきたと思うと、あっというまに編集作業で家を離れ、終わるとまた海外か国内の遠いところへ行ってしまうのだった。ロケ先から帰るとTさんのカバンの中はパンパンで、資料の他にお土産がたくさん詰まっていた。私が大喜びするのでウケを狙ったものも多かったんだ。パリから帰ってきた時は真っ白い大きなカフェオレカップが入っていて、あまりに大きいのでどんぶり替わりに使うようになった。その色は当時の日本では見当たらない少し曇った綺麗な白で、とくに大切に使っていた。
保護者のようとはいえ子どもっぽく気が短い面もあったので、年柄年中ひどい喧嘩をしていた。246を走ってる車の中で大げんかになったことがあって、減速した青山一丁目あたりで、私は助手席から車道に飛び降りた。けれども幸い怪我はしなかった。
一回だけ音入れの時に呼んでくれて、新橋の小さなビルの一室で朝まで過ごした。私も関わってる番組だったので、仲の良いメンツに囲まれ和やかで楽しい夜だった。Tさんは私に『ミスタームーンライト』を聴かせたくて、ADのS君に有線放送にリクエストさせたんだけど、しばらくしてから回転数の間違ったものすごく遅い音のミスタームーンライトが流れてきて、一瞬の沈黙ののち、皆で死にそうなくらい笑い転げたんだ。Tさんだけがすごくムッとしていて、曲がかかる前に講釈した恥ずかしさもあって「なんでこんなことになるんだよ!!」と怒りをぶちまけていた。
そんなわけで『ミスタームーンライト』は、私にとっては新橋の雑居ビルの編集室の音なのです。