2013/7/25
京都市 中京区 六角獄舎
ここに、私の先祖の一人、攘夷志士の森下儀之助が眠っています。儀之助は、弟の幾馬と一緒に土佐藩を脱藩し、天誅組という尊王攘夷の結社に入ったのだそうです。ここ六角獄舎では、儀之助が処刑され、奈良の東吉野では、弟の幾馬が殺されました。二人のことは、高校の修学旅行(四国一周)の時に、高知に住む父から渡された家系図がきっかけで知ったのですが、そのことをすっかり忘れた十数年後の1993年に、偶然が重なって高知県の檮原村まで出向くことになり、天誅組や先祖について改めて知ることになりました。父はよく「僕らには、おっちょこちょいの血が流れとるのよ。だからカーッとしてはだめ。カーッとすると時代の夜明けをこの目で見る前に命を落とすよ」と、よく話してくれたのですが、それがこの先祖二人からの伝言、遺言のようなものだと思っています。
https://www.city.kochi.kochi.jp/deeps/01/0104/rekishi/re0305.htm
二十代 三十代で 亡くなった若き兄弟は、太鼓など音の出るものを愛し、歌を詠み、風流な人たちだったそうです。彼らの辞世の句や彼らの様子を含む天誅組について詳細に記された小冊子を、大阪龍馬会のHさまが、数年前に私に送って下さいました。「血」の繋がりをあてにしない私なのですが、子供の頃から、変わり目に敏感で、不正なものや権威に対して過剰に反応してしまう側面がありました。思い入れたものに対してすべてを投げ出しても構わないと思うのもきっと彼らと共通しているのかも知れません。
いまでも時々、私に何が出来る?何をしたらいい?と、彼らに問うてみる私なのです。