2014/10/2
21才の頃、横浜中華街のはずれのステンドグラス屋でバイトをしてた。南門近くのアメリカンハウスの数件隣。アメリカンハウスはカフェバーのハシリのようなところで、カウンターが大きくUの字型になっている真っ白いお店。毎夜おしゃれな人達で賑わっていた。
私が働いていた『45アルファ』は、鋭角な三角形の敷地に建てられていて、窓やドアにはもちろんのこと狭い店内にびっしりとステンドグラスが飾られていた。お隣は中国の海老問屋さん。倉庫の入り口ではいつも大勢の女性が輪になって椅子に座りエビ剥きをしていた。そのうち、そこで働いているお母さんの娘と友達になった。シャオチンといって小学校1年の女の子。シャオチンはおたまじゃくしという愛称を持っているらしい。体が小さいからだよと教えてくれた。
シャオチンは学校帰りにしょっちゅうランドセルを背負ったままわたしのところに寄るようになった。私は11時に店を開けて閉店の9時までは一人きりだったので、シャオチンの訪問は嬉しかった。或る時「これ見てごらん?マオツーシーだよ。えらいんだよ」とシャオチンが言った。教科書を開いて誰かの写真を見せる。「もうたくとうじゃん、シャオチン」「違うよ、マオツーシーだよ。おねえちゃんは何も知らないね」「いや、これはもうたくとうって言う人だよ」
私はシャオチンが言ってるのとは違う意味で賢くなかった。いろいろもめた挙げ句、やっと読み方の違いと気がついた。その後シャオチンは、私の頭が良くなるように、中国の小学校に入れてあげたいと真剣に考えていて、彼女から個人的な発音の指導も受けていた。おかげで『横浜山手中華学校』はいまだに綺麗な発音で言うことが出来ます。
バイトが終わるとそこらじゅうのお店は閉まってて、特に元町は終わるのが早いので、シャッターが下りていて何の楽しみもなかった。唯一元町の入り口に当時新しく出来たタワーレコードがピカピカと輝いていて、しょうがないので毎晩そこに寄った。洋楽はそれほど聴く気はなかったのだけど、洋楽しか置いてないので、少しずつ聴くようになりました。