ペンハウスに所属するまでの私は、野良猫みたいなものだった。時々仕事して、お金が少したまるとフラフラした。続けて働いている間は実家に住んでいるので辛かったんだ。そしてフラフラし始めると、余計に母と険悪になった。
袋のようにズタッとしたカバンに、最低限の下着と化粧品と煙草を放り込んで、友達の家を泊まり歩いた。一番お世話になったのは三島のお姉さんで、お姉さんは当時、横浜の屏風浦の古い日本家屋に家族4人で住んでいた。どうして泊めてくれたのかわからないけれど、お姉さんは仏様のような人だった。そして確かにお寺の娘さんだった。
お姉さんのご両親は、静岡県三島市のお寺を畳んで鷹取山の麓に住んでいた。お姉さんのお父さんは時々屏風浦まで遊びに来たんだけど、ハンチングを上手にかぶったとても素敵なおじいさんだった。話が興じると「いかに●乗仏教では悟れないか」を延々と話し始め、あまり長くなるとお姉さんに「もう終わり!」と怒られていた。私はお父さんの話を聞くのが好きだった。
三島のお姉さんやきっこの家に泊まれない時は、素泊まりの宿を探した。新宿の裏の方とか府中の外れとか横浜の三ツ沢の麓とか。今思うととんでもない場所に、一人きりで泊まっていた。それでも、実家で母と顔を合わせるよりはましと思っていたんだ。
2014/10/2