先日のパスワーキングでも、デイリータロットでも、今の私のテーマは「変容」のようです。変容とは、今までの生き方に対して死ぬことで、新たに生まれ変わるという意味だそうです。なんて文字にすると簡単なのですが、実はめちゃくちゃもがいています。そして、そんな内面と呼応するように、実家の件も進み出し、娘としての私が終わりつつあることを教えてくれるのです。
先日、不動産屋さんの担当の方とご挨拶兼ねて打ち合わせをしたのですが、途中思い立って、横浜駅で寄り道することにしました。横浜駅は思い出が詰まった場所です。母と食事したり、好きな人と映画を見たり、初めて輸入盤を買ったりした特別な場所なのです。そんな思い出を重ねながら、ジョイナスあたりを歩いてみました。
1970年代の終わりから1982〜3年までの数年間、私は得体の知れない眩しいゲートのようなものを感じていました。いよいよ始まるとワクワクしていたのです。約束していた何かにきっと出会えると信じていたのですが、なぜかどこにも見当たりませんでした。それが何なのかを考えてきて、今また考えています。あの頃私は、幼稚な自分をどうにか変えて「大人になりたい」と思っていました。ヘンテコなお化粧をして、クールに装って、「30才くらいかと思った」なんて他人に言われていたのです。それなのに今は「大人になりたくない」ともがいているのですから、トンチンカンだなあと思います。
変容とは、自分が自分を変えることだと思い込んでいたのですが、それだと、一生変わらないかもしれません。そうではなくて、いまの自分を十分に受けとめてあげることによって、植物が次の段階に進むように根源から変わっていくのかもしれないと、うっすら感じています。