2013/7/4
音楽が好きだと思ったことはなかった。音楽がないと生きていけない!という人たちを不思議な気持ちで眺めていた。去年、I君に「森下さんは音楽が好きなんだね」と教えてもらったので、認識したのでした。
言われてみれば、クラブに初めて行ったのは去年なのですが、とにかくひたすらずーっと音を聴いている。誰かと話したい訳ではないし、お酒もあまり飲めないし、煙草も吸わない。けれども、ひと晩中でも聴いていられるのです。
二十歳の頃は、湯浅学さんと文通していた。すごく音楽に詳しいひとだなあと思っていたのだけれど、湯浅さんがどういう方なのか、二十年以上もわからなかった。今年になって、湯浅さんのお手紙を読み返してみたら、もーーどうしようもなく生意気なことを書いたと思われる私に対しての丁寧なお返事の数々で、恥ずかしいのと申し訳ないのとで寝込みそうになってしまった。死ぬまで封印する予定です。
克美君のことを大好きになったのは、ギターが上手だったから。『天国への階段』をよく弾いてくれた。
十代の終わり頃に長野市に住んだ時は、老舗のライブハウスの溜まり場が近所だったので、毎日のようにロックを聴かされていた。奥さんのボッチが私を妹のように大切にしてくれて、カウンターの中で手伝ったり、レコード触ったりもしていたのだけれど、ミュージシャンもアルバムタイトルも、ほとんど覚えられなかった。
二十代の頃に一緒にいたSさんはビートルズ世代で、ビートルズはもちろんのことボブディランとか、自家中毒になりそうなくらいあれこれ私に聴かせてくれた。それでも、ちっとも覚えられなかった。
ジャズに突入したのは、藤村が渋谷の『メアリージェーン』に連れてってくれたからだ。あれがミンガス、あれがコルトレーン、あれがマイルスと、壁の写真をひとつずつ指差して教えてくれた。(彼女と再会したかったのだけれど、山の滑落事故で亡くなってしまったそうだ)その頃バド・パウエルの「ウン ポコ ロコ」を聴いてからは、狂ったようにジャズにハマり出し、仕事も辞め、アパートも出て、バイトと睡眠以外の時間は明大前の『マイルス』のカウンターに座っていた。なぜかジャズだけはノートをつけていたので、かろうじて少し覚えることができた。
ボサノヴァを聴かせてくれたのは、板橋純ちゃん。
母になって、パートで勤めた先の革工房では、ギタリストのKくんがバイトしていたので、アイズレーとか、ジミヘンとか、レッチリとか、ブラックサバスとか一日中ガンガン流れていて、ミュージシャン名だけすこーし覚えた。(CDを仕舞う係だったので)
まあそんな感じで、どうやら私は、音楽のことがすごく好きみたいです。