2013/10/5
典ちゃんがペンハウスを辞めたのは私とほぼ同時だった。私の方は事務所に所属してから視聴率の高い番組に幾つも関われて、それはとても有り難く幸せなことだったのだけど、一方で、どんどん自分らしい面白さがなくなっていくことに不安を感じていた。それで、あまりよく考えず次の仕事も決めずにあっさりと辞めてしまった。典ちゃんも典ちゃんで、自分の新しい可能性を求めるために辞めたんだったと記憶している。まあいずれにせよ、お互いに、まだ若いから何でもやれるんだとタカをくくっていたのだ。
典ちゃんはそのあとまもなく、ブルーリヴァーという小さな出版社に勤めた。会社名は全然知らないけれど「由香ちゃん、ほら、レコード屋のレジのとこに必ず小冊子が置いてあるじゃん。あれだよ」と、教えてくれた。言われてみれば、私も時々持ち帰っては読んでいた。小さく細長い冊子で、中身は新譜の紹介や、レビューや、インタビューや、そういう読み物がぎっしりと詰まっている月刊誌だった。
典ちゃんは、アパートのある新宿十二社の辺りから会社のある代々木まで、毎日タクシーで通っていた。薄給でそんな身分ではないけれど「私ってさあ、満員電車に乗れないおんななんだよねー」と、いつもの北海道弁で屈託なく話してくれた。あっというまに新しいところに馴染んで、先輩や編集長に可愛がられていたようだ。私がブルーリヴァーに電話すると、編集長から「あ、森下さんね。いつも○○さんからお話伺ってますよ!」と、びっくりするような丁寧な対応をされて、相変わらず典ちゃんらしいことになってるなあと感心したものだった。
一年数ヶ月経った頃だろうか、典ちゃんが突然電話をかけてきた。
「由香ちゃん!まずい!大変なことしちゃった!もうだめだ!私、死にたいよ!もうどうしよう!あー、馬鹿なことしたーーーーー!!!!!」典ちゃんは今まで見たことないくらい取り乱していた。
「どした?」
典ちゃんは涙ぐんでるような声で話し始めた。「いつもさ、ハガキくれるおじさんがいてさ、すごく読み込んでくれててさ、ありがたいなーって思ってたんだ。そのおじさんが直接電話かけてきてさ、すごく忙しい時だったからさ、何だよー?って思ったんだけど、一応聞いたのね。そしたら、最近、記事の質が落ちたって言ってきてさ。事細かく指摘するんだよ。あの記事のここがダメだとかさ、あそこはもっとこうした方がいいとかさ。あんまり色々言うもんだから、ちょっとビシっと言っとこうと思ってさ。仰りたいことはまあわかるんですが、こちらはプロですんで、ちゃんと考えてつくってるんですよ!って言ってやったんだよ。そしたら、そうですか、、、いや、ボクはずっと創刊から読んでるもので、、、気になったところはお伝えしておいた方がいいかなと思いまして、なんて言ってくるからさあ。わかりました、じゃお名前伺っておきます。編集長に伝えておきますからってさ、名前聞いたんだよね。電話切った後、編集長が『何の電話?』って聞くから、言われたことを全部話したらさー。編集長、だんだん顔色が変わってきてさ『○○、お前、、、、、その人、、、、名前なんて言ってたか?』ってすっごいマジメな顔して聞くから『え?えーと、小倉さんって言ってましたけど?』『お前、それ、、、小倉、、、、小倉エージさんだ、、、、、、馬鹿やろーーーーーーーーーー!!!!明日、朝一で菓子折り持って直接謝ってこーーーーーーーい!!!!』って怒鳴られてさあ。もう、由香ちゃん、私死にたいよーーー」
典ちゃんは電話の向こうで泣いていた。私はちょっとだけ面白いなって思ったけど、私も小倉さんのことよく知らなかったので、事態の重さがわからなかった。
「典ちゃん、とにかくお菓子買ってさ。明日いっしょうけんめい謝ればいいよ。許してくれるかどうかとか、もう考えない方がいいよ」みたいな、余り役に立ちそうにないアドバイスをした気がする。典ちゃんがその後どのように謝って、どのように許してもらったかは忘れたけれど、たしか淡々とコトは済んだように覚えている。
典ちゃんはそのことをしばらくトラウマにしていて、だいぶ経った或る時「大御所なんだからもっとわかるように言ってくれればいいのにさー」なんて不満そうにしてたけれど、一ファンとして電話をかけてくるなんて素敵だなーって私はこっそり思ってた。
以来、小倉エージさんのお名前を拝見すると「あ?小倉さんって仰るんですか?うちの雑誌を愛読していただけるのはホントにありがたいんですけどねえ?」って、失礼極まりないことを典ちゃんに言われた小倉さんだなーって思ってしまう、私なのでした。