2022.11.25
ブラックフライデーセールなのでdellのノーパソ買おう大計画。というのは、現ノーパソがピーピー鳴いてたまにフリーズするからだ。怖い。大学の通信制はオンラインが命。めちゃめちゃ怖い。レポート書くにも授業を見るにもパソコンありき。というわけでどれを買おうか調べたけど種類が多くてわからない。サポートセンターに電話したら営業の李さんという人が相談に乗ってくれた。李さんはてきぱき仕事ができるんだけど、ちょいちょい小さな間違いもする。指摘するとへへへと笑うので釣られて笑ってしまった。李さん、しっかり!現パソコンについて、「修理に出すと高くつくから、ぼくなら保証延長も修理もせずにそのまま壊れるまで使います」と言ってくれたから助かったよ。ありがとう。
夕方は下の娘の彼が遠いところから自転車に乗って会いに来た。楽しそうに2人でファミレスへ。彼はハンバーグを食べたらしいけど、娘は私が作った生姜焼きを狙っていて、お茶だけにしたらしい。「ウチの分のおかず残しといて!」とLINEが来ていた。食いしん坊復活。よかったね。
2022.11.21
担当医からの説明に伺うと下の娘は経過良好、明後日退院が決まったとのこと。痛みは病気のせいではなくてその日たまたま痛かったらしい。だけど精密検査で別の場所を発見、いずれは手術した方が良いことがわかり(子どもの頃の病気の後遺症)急遽の手術になったとのことでした。「偶発的に発見できてよかったです」と仰ってました。14年前に全く同じような説明を当時の担当医(他の病院)から受けていたので納得しかなかった。再検査しなくちゃなーとずっと心に引っかかっていたので心底ホッとした。当の娘は点滴もとれ、スッキリ爽やかな笑顔でひょこひょこ歩いていた。退院の日をお姉にLINEすると「今月?」との返事。私もそう思ったよ。
ビールとシャケおにとファミチキで癒された数日間でした。残り2日も頑張ろう。
2022.11.18
早朝、部屋をのぞくと家族が調子が良くないと言う。いつもの感じと違うので救急車を呼ぶことに。コロナ最盛期では無理だった近くの大きな病院が引き受けてくれた。到着後あれこれ検査があり、お昼過ぎには手術。結果から言うと大事には至らず無事に手術は終了した。小さい頃の病気の後遺症があり当初より時間がかかったとのこと。執刀医の先生の目が真っ赤で、こうして身を削ってオペしてるんだなあと頭が下がる思いだった。それなのに「無事におわりました、長くお待たせしてすみません」とニコニコ笑って下さったが、こんなに長い時間すみませんは私の方だ。そんな感じで病院を出たのは19:00近く。デイルームの窓からは、左は池袋高層、右には新宿高層、真ん中にはスカイツリーが見えて、不安な気持ちを慰めてくれた。昼間はわからなかったけど、日が暮れるにつれ、だんだん灯りがはっきりしてくるんだよね。
関係あるのかないのかわからない話なんだけど、私はけっこう病院が好きだ。しかも大学病院のような大きな病院が好きだ。小さい頃の記憶から来るんだろうなと待ち時間のあいだに考えていた。この年になっても「好きだ!」と感じるってことは、形は捻れてたりいろいろあったとしても、やはり両親それぞれから愛情を受けてたんだなと思った。自分からは与えず、相手から与えられることばかり考えていたのは、むしろ私の方だったかもしれないね。
2022.11.16
術後の検査とのことでおばあちゃんに付き添い荻窪病院へ。バイトが休みの息子も一緒。2人で腕組んでおばあちゃんも楽しそう。病院内はどこもかしこもぎゅうぎゅうだった。私は午後から用事があるので息子に託してひと足先に出る。
帰宅すると、程なく天ぷらの包みを持った息子も帰宅。帰り道にてんやでご馳走様になったそうだ。お土産の天ぷらも買おうとするので「要らない」と言ったら揉めたらしい。今日のお小遣いと言ってお金を渡そうとするので「要らない」と言ったらまた揉めたとのこと。おばあちゃんは苦労の人だから、感謝の気持ちを形にして表したいんだよね。天ぷらありがとうね〜と電話しておいた。
2022.11.15
おばあちゃん(元姑)が白内障になり手術前の検査をしに荻窪病院まで行った。夜に、手術はいつになったか聞いたら「もう終わった」だって。検査の流れでそのまま手術だったらしい。前回(左目)は大久保病院で一泊の手術だった。そこそこ大変だったので覚悟してたので拍子抜け。医学が発達したのか病院の方針の違いなのか。とにかく無事に終わってよかった。
2022.11.12
近所の銭湯のロッカー前で出会ったおばあちゃん。そのおばあちゃんが生き物が大好きなんだと話しかけてきて「うちにカマキリがいて、6月から生きてるのよ」「最近は手を出すと乗ってくるようになったの」「かまちゃんと名前つけたの」「長生きするんだよ、かまちゃんがんばれ!って毎日声かけてるの」って。虫が大好きだった私も似た経験をしてるので「わかる!わかる!」って、2人で盛り上がった。おばあちゃんは蟻1匹も殺さないよって言ってた。でも私、蚊だけは怒りの心でパーンって叩いちゃいます。そこはわかるじゃなかった、ごめんね。
2022.11.11
下の娘と息子と一緒におばあちゃん(元姑)を連れてスパジャポへ。スッと入れたので意外に混まないのかなと思ったら連休は2〜3時間待ちなんだって。ラッキーだった。おばあちゃんはお足が悪いので、銭湯にはしばらく行けてない。露天エリアの大型テレビのあるお風呂に40分くらい浸かってたよ。その間に下の娘と交代で、他のお湯に入ったり体を洗ったりしたんだけど、気がつけば1時間くらい経っててびっくりした。
2022.11.09
昨日の日記のつづき。以前に知らない方たちから「あなたよりも苦労してる人はたくさんいる」とか「いつまでも自分の傷を舐めるな」などのメールやコメントなどを数年に渡っていただいたのだが、たくさんいるのは重々承知、生きているだけでラッキーなのも重々承知。ちなみにこの日記はその人たちに宛てているのではありませぬ。
私のケースの問題点は、自身で自分の傷をごまかしてしまったことだ。子ども時代は母に命じられて周りに隠したことを始めとして、結局は母が死ぬまで「一所懸命ひとり親で育てたのに、娘は父譲りのだらしない性質で、結局家出してしまった。大人になって母の苦労がわかった」というステレオタイプの物語にはめさせられたということ。実際、二十歳の頃に、母の実家で親戚一同ずらりと並んだなかで土下座させられたことがある。なので母のお葬式の日も、「貴女もこうやって恩返しができてよかったね」だの「お母さんに心配かけたけど立派になったね」だのと、ピント外れた言葉に付き合わなきゃいけなかったし、最悪なことに自分でもそう思っていた。
これらの悪影響としては、どの場面においても、自分の本当の気持ちがわからなくなってしまうことだ。まずは相手ありきで、そこから自分のポジションを決めていく。小さい頃はそうしないと暴力を受けるし、大きくなってからも気持ちの上で母に支配されたままなのだ。まずはお母さんが望む結果を察して、そこから逆算して自分の役割を探っていくというような。本当にややこしいことになる。
虐待は、とくに対人関係において障害が出るそうだ。虐待を受けていた子どもが大人になると、自己評価が極端に低かったり、相手に極端に依存したり、反対に暴力的になったり、相手をまったく信用できなかったりなど。健全な人間関係を構築するのがむずかしいとのこと。
そうですよねーと思いながら受講した。ねじれているところはほどいて、要らないものは捨てて、この先は生きていけたらいいな。最近は悪夢も見なくなったし、まあ、きっとうまくいくことでしょう。
2022.11.08
皆既月食ぜんぜん見なかった。眠くて眠くて熟睡中だった。先月名古屋のプラネタリウムでシュミレーション皆既月食の大型版を見たからいいや。そういえばあの時「●百年ぶり」って言ってたよな。
それよりか「教育心理学」だ。メディア授業を受けている。6コマ目は虐待について。「虐待は、対人関係の歪んだ形をずーっと長期に渡って受け続けるので、非常に重篤な障害を引き起こす。」だそうだ。目眩がしそうだ。
こんなことを私ひとりの胸にしまって、母が死ぬまで、彼女を良い母として対外的には扱い(そして私は思春期に家出した親不孝な娘として)母の最期を見届け、送り出したことは、さらなる私の傷になっている。いまや母の実家(福島県南相馬市)を死ぬほど嫌いだし、母方の親戚のことも福島の記憶も、思い出すと倒れそうになる。親戚のことはお世話になったとかならないとか、好きとか嫌いではない。記憶の蓋を開けると倒れそうになるのだ。すごいエネルギーを使って事実を隠して、横道に逸れた馬鹿な娘として演じるわけだからそりゃそうなるよ。母方の関係者とは二度と関わりたくないし、声も聞きたくないし、もちろん顔も見たくない。母が亡くなってくれて本当によかった。年老いた母を罵ったってひとつもいいことがないもの。彼女が魅力的な人物であったことはわかってる。福島が美しい場所なこともわかってる。でもそれとこれとは別。
『100万回生きたねこ』の佐野洋子さんが実母を憎んでいて、首を絞めて殺してやりたい衝動にかられるが、そのために母の首に触るのも嫌だと生前のエッセイに書いてあった。あの絵本から感じる凄まじさは佐野さんの内からほとばしるものなのかな。
と、勝手な想像はいいや。とにかく虐待は子どもに非常に深刻な影響を与える。災害時のPTSDとはちょっと違う区分だとのこと。毎日毎日「生きる・死ぬ」をくぐり抜けるんだもの。たまったものではない。正しく怒ろう。正しく憎もう。許すことが美しいだなんて、そんな馬鹿な。
でも悲しいかな、私はものすごく忘れっぽくて憎しみが続かない。虐待は脳障害も引き起こすそうだから、そのせいもあるのかなーと思うんだ。慢性反復性心的外傷。イカポさんはまたひとつ賢くなった。
2022.11.07
内野スマ子先生のことを書いた。先生のことは絶対に書かなきゃと決めてから、20年くらい経っちゃった。頭のなかや心のなかでぐるぐるしてるだけで、いつまでたっても言葉として固まらなかった。放っとくと一生書けそうにないから、ドロドロのままで出すことにする。このあと何度も書き直すと思うけどよろしくね。
2022.11.06
単位取得ごとに自分にご褒美をあげようと決めて、手始めに、今日は東京駅まで味噌煮込みうどんを食べに行った。とっても美味しかったんだけど、土鍋がおもちゃみたいに小さかった。メニューを見て「良心的な値段!」と喜んでたら、その手があったか〜。
2022.11.04
下の娘の芸術祭に行ってきた。彼女は院に進んで1年目。aoiちゃんの姪っ子も今年同じ大学に進んだと聞いて、探してみようと計画。とりあえず娘の棟からLINEであれこれやってたら、あれこれやってた目の前の絵が姪っ子ちゃんのものと判明。ちょうど当番だった姪っ子ちゃん(目の前で座ってた)が話しかけてきて2人は十数年ぶりのおしゃべり。そんなことってあるのか。
ちなみに姪っ子ちゃんは掲示局で、娘のグループの掲示板も作ってくれてたそう。日本は広いし、大学はいろいろあるし、大学内もいろいろあるのにな。とにかく最短のプロセスで再会。よかった。お天気が良くて紅葉も綺麗だった。帽子付きのどんぐりも拾った。
帰りは吉祥寺で2軒梯子のお茶。aoiちゃんと私が同じ時を過ごした十数年を整理できたので、いつもより先に進んで良い感じ。回り道だったとはいえ、お互いに無駄ではなかったねと話し合った。
2022.11.03
「市民と政治」の第4回レポートが合格し、さきほど単位認定テストも合格した。無事に単位取得。今年度最大の山場。もう無理かと思った〜。ここでほっとして怠けると去年の二の舞になるのでどうにかモチベーションを維持したい。メディアコミュ1のレポート3の再提出、頑張れるかなあ。つらいな。
関係ないけれど、昨日は、側から見ていて本当によかったな〜と安堵することがあった。団地のベランダから見える風景は、たとえよその家であっても、遠い記憶を引っ張り出してドキドキしてしまう。けれども私はあらためて思う。ひとはいつだって、どんな過去があったって、変わることができる。そのことこそが尊いのであって、ひとが生まれ持つ条件や才能やなにかではないと思うんだ。だからどうか小さな女の子のために生まれ変わってほしい。
そういうわけで「ネガティヴ思考の不幸癖」の私も少しずつでも変われますように。こちらもがんばるぞい。