放送作家をしていた数年の間に、私はとても鈍い人間に成り果てました。業界的な言葉遣い、感じ方、態度。バックボーンが大きいということは知らず知らずのうちに人間を変えてしまいます。20代前半なら尚のことです。何処の馬の骨、こんな小娘、という態度をとる人でも、大きな番組名が書かれている正式な名刺を見せれば一転してそれなりに会話が成立してしまうのです。もちろんそんな人ばかりではないのですが、そんな虚しいことを重ねた私は、中身のない本当の自分を隠すように振る舞い、悪戯に忙しく日々を重ねていました。
そんな或る日、なんとなく近所にある大学の構内に入ってみたのです。売店に足を踏み入れ、友人に教わったばかりのモダンジャズのCDを手にとって見ていると、横に立っている人が突然「君、ジャズ聴くの⁉︎」と声をかけてきました。見ると、かっちりした白いワイシャツにツイードのズボンのやけに古めかしい格好、その割には童顔の不思議な男の子がいました。「失礼しました。僕、近所のジャズ喫茶でバイトしてるんだけど、、、よかったら今度聴きにきてください。歩道橋を渡った先にある〇〇です」彼は丁寧に説明してから、そそくさとその場を立ち去りました。「きっとあの人、ここの学生なんだろう、、、私も学生に見えたかも。忍び込んで見てたなんて言えないし、どうしよう」数日悩んだ末、ついにそのジャズ喫茶の汚れた細い階段を昇ってみたのです。その日から、私の人生はまったく違う方向へ進み始めました。
その彼と私は最終的に恋人同士になったのですが、彼は私のことがずっと嫌いでした。嫌われる要因がちゃんとあったからなのですが、それに加えて、若く純粋な彼にとって、ふてぶてしい私は憎むべき存在だったのです。それからの2年間、どれほど私を嫌いかということを聞き続け、反対に純粋なジャズを聴かされ続けました。(この日々を経て、私は自分のことが本当に嫌いになってしまい、元に戻すまでに数十年もかかってしまいました)
一方で苦しい私を支え続けたのは、聴かされ続けたジャズなのでした。或る日、打ちひしがれたまま公園を歩いていると、フリーマーケットをしている人のCDラジカセからマイルス・デイビスのトランペットが聴こえてきました。ラジカセ特有の薄いペラペラした音でありながら、マイルスの音色は私の身体の中に入ってきて、ボロボロな私の心にそっと寄り添ったのです。それはとても不思議な体験でした。傷つけあってばかりの日々を終わらせるキッカケになったかどうかはわからないのですが、その日から数ヶ月後に私はこの恋を完全に終わらせることにしました。その日々を思い出したくなかったのですが、今回、浮かび上がらせてみることにしました。
私も苦しかったのですが、その人もどんなにか苦しんだろうと思います。彼が大事な日々を費やしてくれたおかげで、私はナナメに見る生き方を変えることが出来ました。傷つけられたのではなく、私の方こそ深く傷つけていたのです。純粋な彼のことですから、きっと今も何処かで真っ直ぐに生き続けていると思います。時を経て月並みですが私の気持ちを送ります。
大事な日々をありがとう。