2014/9/22
行きの中央線でNがた先生のことを思い出した。Nがた先生は愛称で、赤間ちゃんの高校時代の友達。赤間ちゃんというのは、渋谷の住宅供給公社時代のバイトの友人で、きっこと同じセクションで、みな仲が良かったんだ。或る時、赤間ちゃんとNがた先生との飲み会に誘われて、高田馬場のやすーい飲み屋を一軒目に、3人で飲んだんだ。
きっこや赤間ちゃんやNがた先生はよく「もりしたゆかはクレージー」と言ってたんだけど、今思うとどこらへんがクレージーだったのか。
Nがた先生は大学を卒業してからゲーム会社(N)に就職して、ゲームの作曲を担当してたんだ。(その会社のゲーム音楽を集めた)レコードをもらったんだけど、今、どこにあるかなあ。Nがた先生が就職したばかりの頃「新入社員は現場を知るためにゲームセンターを回るんだけど、いたいけな子どもの握りしめた100円玉が俺の給料になるかと思うとツライ」と深刻に言ってて、その通りなんで爆笑してしまいました。
まあそんな感じです。私が二十歳の頃のお話です。