2013/5/8
典ちゃんは新宿の十二社の近くのアパートで、典ちゃんを追っかけて北海道の室蘭から上京したお母さんと暮らしていた。お嬢さんで末っ子で世間知らずのお母さんを働かせるのはかわいそうだと、母を養うために昼だけでなく夜も働くことにしたらしい。
私たちの事務所は、赤坂のコロンビア通りという一ツ木通りから入る路地沿いにあったのだけれど、その一ツ木の一角に建つビルの地下のクラブで、夜になると「舞」という源氏名で働いていた。
昼間、赤坂見附から一ツ木通りに曲がる時、角の全面ガラス張りのドーナツ屋の中でやけに笑ってる綺麗な人たちがいるなあとのぞき込んでみると、その間に挟まれて、垢抜けない格好をした典ちゃんが、両脇のお姉さんたちを笑わせていたりするのだった。
私は、日曜夜の生番組が終了した後に、そのまま同じ枠の番組のスタッフとなり、昼間の典ちゃんが働く四ツ谷の制作会社に出向となった。六本木の会社ではとても大切にされていたのだけれど、こちらは結構荒っぽいというか、面白くするためには何でもありの会社だったので、毎日びくびくしながら通っていた。
そんな社風の中でも、典ちゃんの周りにはいつも誰かが居て、何かを相談したりお喋りしてオヤツを食べてたり、いつ何時見ても台風の目のようになっていた。
典ちゃんは私が会社に来ると真っ先に見つけ「由香ちゃん、こっちにおいで!」と呼んでくれて、たくさんのひとに紹介してくれた。
そんな典ちゃんの才能は早々に買われ、21才にして、局を代表するようなトーク番組のブッキング担当となった。やすしきよし師匠の番組だったので、それなりの大物が揃わないとおさまりがつかないということで、皆、ブッキングに四苦八苦していたのだけれど、ベテランディレクターでもなかなか落とせないような超大物も、典ちゃんにかかると「じゃ~、出ようかしらねぇ」になってしまうので、その手腕はプロデューサーや局の社員からも一目置かれていた。
典ちゃんに言わせると「夜の赤坂で磨いてるから、お手のもんだよ」とのことだったけど、たぶん生まれつきじゃないかなあ~と、いつも思っていた。