2011/ 1/14 なんと、ブッチン、キレてしまった。潰れそうな想いの時は、助けがやって来る。 注文していた「円卓の騎士」と「エクスカリバー」のDVDが届いた。夜には、A君がチャンネルを変えたら、ちょうどコーンウォールの旅番組をやっていた。港町の漁師のおじさんの腕には、エクスカリバーの入れ墨…
絹糸のような雨がふる。碧は今、何処に住み、何をしているのだろうーー。こんな日に、やっぱり碧のことを想いだしてしまう。 腕を組み楽しげに語らう若い男女や、子供みたいにはしゃいでる女の子のグループ。暮れなずむ黄昏の街に見かける光景だ。「いいねーー、若いって明るくて自由で、私も、…
2013/1/18 ちょっとね、どうでもいいようなことなんだけど、書いておこうと思って。というか、昨日からずっと頭の中でイメージで繰り返しているものだから、もう出してしまおうと思って。。。わたしね、振り返って「あぁ、あの頃はラクだったなー」という時代があって。中学の3年間と高校1年生の前半なの…
2015/12/22 きっこと初めて会ったのは渋谷の宮下公園向かいのメトロビルに入っていた住宅供給公社でのバイトで。当時青学生だった赤間ちゃんや、札幌からフラッと来てそのまま住みついているみっちゃんや、青森から来た長谷川君。福岡から来た女の人もいたなあ。そのみんなは分譲担当で私だけ賃貸担当。き…
2014/10/25 『ろーど』は、相鉄線の鶴ヶ峰駅から数分歩いた先の、雑居ビルの二階にある喫茶店だった。中はがらーんと広く、天井も高く、雑に白くペンキを塗ったような殺風景なつくりで、観葉植物がぽつんぽつんと置かれていた。左手奥はカウンターと厨房で、ウエイトレスのお姉さんは綺麗な人だった。サー…
2014/10/24 T叔父さんは親類で一番好きな人だ。優しくてなんも喋らない人だった。喋らないのに、故郷の鹿島に帰ると友達がたくさん居た。 横浜の小さな長屋に住んでいる頃、長屋の前の砂利道で一人で遊んでいたら、ふいに目隠しをされた。「だーれだ?」と聞かれてわからないでいると、当時法政大…
2009/3/31 中学1年の時から3年間、一人のおじいさんと文通していました。おじいさんの名前は中村胖(ゆたか)さん。或る雑誌の読書欄に、おじいさんがご自分の詩を投稿していたのです。その詩があまりにも素敵だったので、感激した私は早速お手紙を書きました。当時の雑誌は、投稿者の名前も住所もそのま…
2005年9月19日 忘れられない人の中に「柿のおじさん」がいる。 柿のおじさんは、私が6~7才の頃、一度会ったきりの人だ。 お隣の川島さんの知り合いで、母と川島さんと私の三人で、おじさんのお宅に遊びに行ったのだ。(※1) 同じ仏向町のはずれに住むおじさんの家は、広い森の中の崖の上に建っ…
2015/11/10 横浜の鶴ヶ峰という駅を降りて右側に少し歩いた先に「ロイヤルマート」という小さなショピングセンターがありました。一階は、八百屋、不二家のケーキ、カメラ屋など。そして二階は、畳がある食堂に、裁縫道具を売ってるお店、ファンシーショップ、そしてレコード屋。私はこのレコード屋さんに…
2014/10/1 私は昭和が大嫌いで70年代も大嫌いだったので、走り去るように通ってきたのだけど、考えてみたら十代の私はどっぷり70年代を生きてて、むしろそれしかないから、嫌いになるとなんも残らない。なので、心入れ替えて古い記憶を掘り起こしています。 真紀子は高校1年ん時の友達で、KI…