2005年9月19日
忘れられない人の中に「柿のおじさん」がいる。
柿のおじさんは、私が6~7才の頃、一度会ったきりの人だ。
お隣の川島さんの知り合いで、母と川島さんと私の三人で、おじさんのお宅に遊びに行ったのだ。(※1)
同じ仏向町のはずれに住むおじさんの家は、広い森の中の崖の上に建っていた。(※2)
その崖っぷちの庭には白い丸いテーブルとイスが置いてあり、そこで紅茶をごちそうになった。
私とおじさんは一体何を話していたのか…、
とにかく意気投合して、二人でずっと話していた。
おじさんの庭の柿の実がとても甘くて美味しいので「秋になったら必ずまたいらっしゃい」と言われた。
その後川島さんから「柿が成ったので由香ちゃんの事を待っているそうだよ」と聞かされていたのだけど、行く機会がないまま、ほどなくして私は引っ越してしまった。
あれから36年経ち、ようやく柿のおじさんが誰だったのかを知ることが出来た。
ずっとずっとひたすら、おじさんは森と繋がって生きていたんだね。
ここまでの月日の重みで色んな感情でいっぱいなのだけど…。
あの頃も、そして今もまた。ありがとう、柿のおじさん。
植物生態学者 宮脇 昭
http://nationalgeographic.jp/nng/sp/inochi/message3.shtml
※1 のちに母から聞いたところによると、(長屋のお隣の)川島のおじさんは税関に勤めていて、同じ町に住み世界中の植物を研究する柿のおじさんと親しいとのことだった。川島のおじさんが「うちの隣に、植物に詳しい女の子(私のこと)が住んでいるので会わせたい」と話していて、柿のおじさんと引き合わせてくれたのだそうです。
※2 横浜市保土ヶ谷区仏向町 この時に同行したのは川島のおばさん。柿のおじさんは、研究のために仏向町のはずれの鬱蒼とした森の急斜面に住んでいた。