2014/10/24 T叔父さんは親類で一番好きな人だ。優しくてなんも喋らない人だった。喋らないのに、故郷の鹿島に帰ると友達がたくさん居た。 横浜の小さな長屋に住んでいる頃、長屋の前の砂利道で一人で遊んでいたら、ふいに目隠しをされた。「だーれだ?」と聞かれてわからないでいると、当時法政大…
『元気が出るテレビ』はパイロット版から関わっていた。同局の同枠の『久米宏のTVスクランブル』が終わって、次の仕事だった。同じ枠とはいえ、正反対の雰囲気を持つ制作会社に関わるのは大変です。なにからなにまで違っていて、それまでの一年間自分が必死で学んできたことはひとつも役に立たなそうだった。 『元…
2014/9/30 私が初めて大人の恋愛をした人は、コックさんでした。元々は大洋ホエールズのテスト入団生でピッチャーでね、それで肩を痛めて。そのあと服部学園に入学したの。 卒業してからは、池袋の『文流』というイタリアンレストランで修行してたんだ。少しの間だけ一緒に住んだのだけど、パスタの…
2014/1/19 母と二人暮らしになってからは、私の将来はほぼ決められていた。 結婚という夢に破れた母は、職業婦人だったということもあり、「女はひとりで生計を立てられる職に就かなければいけない」という固いポリシーを持っていた。さらに母がこだわったのは、いつの日か父に「自分が捨てた娘はこ…
2014/1/25 記憶を辿ると、山本耀司さんに手紙を書いたのは高3の夏休みだったと思うが、どこにも記録がないのでわからない。その手紙を書いてしばらくしてから、一通の手紙が届いた。茶色くザラッとした紙の横封筒で、差し出し人のところには、Y's とあった。それを見た途端、頭のなかが真っ白になって…
2016/4/6 私はいつも吉祥寺のヌイトからバスを使って自宅に帰るのですが、先日、バスの中で見かけたことを記します。 目の前に座っていたおばあちゃまが、隣の3歳ぐらいの子どもにずっと話しかけていました。おばあちゃまはだいぶお年を召していて、杖を持っていたのですが、とてもお洒落な人。小さ…
「天の雫」という、私の心の中で勝手に名付けている言葉がある。天の雫は恩恵だ。或る時、或る場所、或る人達に、突然落ちる。 それはあらかじめ計画されたものなのか、それとも単に神の気まぐれなのか、私には到底わかるはずも無い。けれども、そんな私でもハッキリとわかるのは、雫を浴びた人たちは、時代の大きな…
2013/12/4 24年ぶりにやまもと君に会った。吉祥寺の喫茶店で待ち合わせて、2時間くらいタラタラ喋っていた。やまもと君は板橋純ちゃんを通して知り合った。高田馬場の路地裏にあった美味しいカレー屋さん「ラージプート」に連れてってくれたっけ。私の記憶はそれくらいだけれど、きっと思い出せないだけ…
2013/11/12 十代の終わり頃にバイトしていたお店は、長野市の善光寺の参道に続く大通りに面した『夢屋』と言うあんみつやさんだった。蔵造りの建物で、天井が高く、とても雰囲気のあるお店だった。面接時の私の堂々とした(生意気な)様子を買われ、一人でカウンター内を仕切る仕事をまかされ、バイトの高…
2013/10/29 十代の頃、2年間だけ長野市に住んでいた。小さな都市なので色々な人と出会ったり多くの経験が出来たのだけれど、どうも私は可愛らしいアピールを他人にされることが度々あったので、それらを少しずつ。 33年前のお話。 バイト先の紅茶専門店で一人お店番をしている時に、ランチタ…