今日はアーサー王講座でした。課題で出ていた瞑想では、自分にとって一番必要とする(ものを表す)カードを川の中に投げ込む(捨てる)のです。必要とするカードは、大いなる諸力のカード(メジャーカード)から絵を見て選ぶのですが、再度絵を伏せて一枚選んでみても、なんと同じカードでした。#6. The White Hartです。
このカードに描かれている人物は、マビノギオンにおけるジェイレントとイーニッドです。そして二人の真ん中には、神聖な象徴である鹿も描かれています。というようにこのカードの意味の中には、純粋な愛や神聖な愛というものがあるのですが、このことについては私はちっとも瞑想できませんでした。
瞑想を発表した後に、先生はあっさりと看過なさって「もっと愛について、どうなのか?神聖な愛はあるのかないのか?そもそも人間にそういうものはあるのか?鹿について行って奥まで行くのかどうなのか?そこのところを深めて発見していってください」と仰り、はははーとひれ伏したいくらいの図星のお言葉で参りました。なので今更考えています。とほほ。
私がこの数年、特にこの数ヶ月、ひしひしと感じているのは「人生の中で探し続けた神聖な愛やその相手は、何処にもいなかった」ということです。ひどく絶望的なので深めずに蓋をしていました。悲しいのではなく唖然としてしまうのです。振り返って、うんと小さい頃まで遡って、一番楽しみにしてきたのです。今はいないけれど、いつかはいるはずだと思い込んできたこの数十年はあまりに長く重く、自分の人生を否定したくなるくらいの暗い事実なのです。
きっとそれを知りたくなかったので、瞑想もサボっていたのかもしれません。講座が終わった後、心の中で「いなかった」という言葉がわんわんとこだましていて、たった今も打ちひしがれております。今までは「ない」といいつつも「それでも何処かにはある」と思っていたのです。でも本当の本当にそんなものはありませんでした。
この不思議な完全なる虚しさを抱えて私は新しい道を歩くのだと思います。そしてきっと、そのことに気づいた私は可哀想ではないはずです。